ハンガリーの伝統芸術、マチョー刺繍の誕生秘話 Matyó hímzés – Birth secret story 


ハンガリーが世界に誇る『カロチャ刺繍』と『マチョー刺繍』。

2016年2月19日掲載の『ハンガリーの愛情と魂が込められた、彩りあふれる美しい2大刺繍』では、代々家庭で母から娘へと紡がれ続けてきた愛情溢れるカロチャ刺繍、さらに、マチョー族伝統の技と魂が込められたマチョー刺繍をご紹介しました。

今回は、日本でまだまだ知られていないマチョー刺繍の逸話や、マチョーの人々の暮らしを深堀りしていきます!!

世界の遺産、マチョー刺繍

©日本ハンガリーメディアート マチョーの民族衣装を着て民族舞踊を披露する人々

©日本ハンガリーメディアート/マチョーの民族衣装を着て民族舞踊を披露する人々

2012年にコユネスコ無形文化遺産に登録されたハンガリーのマチョー刺繍。
翌年の2013年にはHungarikum ( フンガリクム )※ に指定されました。

 ※2012年7月1日にハンガリー政府による『Hungarikum ( フンガリクム ) 委員会』が発足。フンガリクム委員会によって選ばれた人や物、文化、習慣、行事は、ハンガリーを代表する価値のあるものとして登録されます。
出典:Wikipedia  Pünkösdi rózsa ( プンクシュディ ロージャ )、別名Bazsarózsa ( バザロージャ )

出典:Wikipedia/Pünkösdi rózsa (プンクシュディ ロージャ)、別名Bazsarózsa ( バザロージャ )

ハンガリーを代表するマチョー刺繍の特徴は、モチーフとして『 Pünkösdi rózsa (プンクシュディ ロージャ) 』が描かれていることです。

ハンガリーで神聖な花として尊ばれている『 Pünkösdi rózsa (プンクシュディ ロージャ) 』は、通称マチョーのバラと呼ばれています。

 

Pünkösdi rózsa (プンクシュディ ロージャ) 』の花はどのような経緯で刺繍されるようになったのでしょう。

ある書物の中に、このマチョー刺繍のデザインにまつわる伝説が書き残されていました。
それでは、これからフィノマガジン読者の皆様をマチョーの物語の世界へお連れします♪

美しい花の刺繍が愛を救う

©2016FinoMagazin 1900年頃のMatyó ( マチョー )の民族衣装を着た若い夫婦

©2016FinoMagazin/1900年頃のMatyó ( マチョー )の民族衣装を着た若い夫婦

むか~しむかし、ハンガリー東部に位置するBorsod-Abaúj-Zemplén megye ( ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン ) にあるMatyó ( マチョー ) に、幸せに暮らす若いカップルがいたそうな。

※megye ( メジェ ) は日本でいうところの都道府県を意味します。

その平和なマチョーの村に、突然世にも恐ろしい悪魔が現れました。

悪魔は、幸せそうに暮らす若い男女のカップルを見つけ、ひどいことに、その男性を捕えて、残された若い女性にこう言いました。

「 マチョーの地方で一番キレイな花をたくさん集めて、エプロンで包んでもってくることができれば、こいつを返してやる!! 」

 

悪魔は、そう言い残し、あっという間に男性とともに姿を消してしまいました。

この時のマチョーはとても寒い冬。
キレイな花なんて一本もあるはずがないんです。

愛する男性を連れさられた女性は、悪魔の無謀な要求に愕然としましたが、悲しんでばかりもいられません。

女性は、必死に智恵を絞りました。

「 そうだ!! 花が咲いていないなら、咲かせればいいんだ!! 」

そう考えた女性は、エプロンにたくさんの美しい満開の花々の刺繍をほどこしました。

その見事な花の刺繍を見た悪魔は、そのエプロンと引き換えに、若い男性を無事に恋人の女性のもとに返しましたとさ。

 

©日本ハンガリーメディアート マチョー刺繍を作り続けるマチョー族の女性

©日本ハンガリーメディアート/マチョー刺繍を作り続けるマチョー族の女性

このお話はマチョー地方の伝説ですが、一針、一針、魂を込めて、見事な『 Pünkösdi rózsa (プンクシュディ ロージャ) 』を刺繍する姿を描写して語り継がれてきたんでしょうね。

今日、世界の宝として認められた美しいマチョー刺繍は、実は約200年もの長い歴史を持ち、時代とともにその姿を変えていった経緯をご存知でしょうか?

現在、私達が知っている“マチョー刺繍”には、マチョー族の意外な民族性が隠れていました。

見栄っ張り文化が生んだ!? 世界の財産、マチョー刺繍

©2016FinoMagazin

©2016FinoMagazin

Ragyogok mindenkor,  ( 私は、何時もキラキラ輝く )

Koplalok früstükkor,  ( 朝食時間は、お腹ペコペコ )

Ebédkor nem eszek,  ( お昼ご飯は食べません )

Vacsorára lefekszek. ( 夕食時には眠ってる )

これは1910年頃にマチョーの人たちが詠っていた詩なのですが、「美しく輝いているけれど、お腹がすいていても食事は我慢」とは、一体どういう意味なのでしょうか。

この詩には、今日のマチョー刺繍の誕生秘話が隠されていました!!
今から100年ほど前のマチョーは、貧しい地域の一つだったそうです。

なぜ貧しかったのか、その理由は、マチョー刺繍にありました。

©日本ハンガリーメディアート

©日本ハンガリーメディアート

現在のマチョー刺繍は、上写真のようなカラフルで濃密なデザインですが、驚くべきことに、かつてのマチョー刺繍は、これを遥かに上回るほど豪華な刺繍がほどこされていたんです!!

©2016FinoMagazin 豪華な刺繍がほどこされたマチョーの民族衣装

©2016FinoMagazin/豪華な刺繍がほどこされたマチョーの民族衣装

かつてのマチョー刺繍は、金や銀糸、ビーズやスパンコールといった “  キラキラ輝くもの  ” をたっぷり使い、そんなゴージャスなマチョー刺繍をあしらった民族衣装は現在のものよりもかなり豪華絢爛な衣装だったそうです。

その当時、民族衣装のスカートの上に付ける、当時のマチョー刺繍がほどこされたエプロンもまた、牛一頭が買えるくらい高級品でした。

牛一頭分の価値がある民族衣装を持つことはマチョー民族にとってのステータスで、マチョーの人々は、より豪華なものを求めて多くの財産をマチョー刺繍に費やしました。
いつも見た目はゴージャスにしているけれど、ろくに食事もとれない生活を送る見栄っ張りな性格」をマチョーの人々は、お互いに皮肉って、あの詩を詠んだんです。

マチョーの教会の司教は、そんな彼らの見栄っ張りな文化を見かねていました。
彼は“豪華すぎる装飾が人々の生活を圧迫していること”を嘆き、人々に余計な装飾を禁止するように命じたのです。
司教は教会の前で、民族衣装に使われていた高価な糸や豪華な装飾品を燃やします。
そうして、マチョーの人々の貧しい時代は終止符を打ったそうです。

©2016FinoMagazin Ómatyó  (色彩が質素な昔のマチョー刺繍)

©2016FinoMagazin/ Ómatyó (色彩が質素な昔のマチョー刺繍)

今では、マチョーの人々の生活は、マチョー刺繍に支えられるようになり、世界中から愛される刺繍になりました。
もしあの時、教会の司教さんが豪華な装飾を禁止しなければ、歴史はどうかわっていたんでしょう。
お腹がペコペコ状態では、マチョーの美しい刺繍を現代まで受け継ぐことができなかったかもしれませんね。

民族としての誇りと伝統が詰まったマチョー刺繍の誕生秘話はいかがでしたか。
読者の皆様の「 おもしろい! 」をハンガリーでたくさん見つけていただけるよう、フィノマガジンでは、ハンガリーの魅力をどんどん発信していきますので、お楽しみに♪


 

取材・写真一部・文/武田友里 ( Takeda Yuri )


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大阪生まれの大阪育ち。神戸大学で人間行動学を専攻。中学校・高等学校1種免許(保健体育)、小学校専修免許状を所持し、子どものスポーツ教育に従事。その後、ハンガリーへ渡りブダペスト メトロポリタン大学大学院でメディアコミュニケーション学を学ぶ。現在もブダペスト在住。FinoMagazinライターの傍ら、ロケーションコーディネーター、ウエディングフォトプランナーとしても活動中。ハンガリー情報はお任せあれ。英語、ドイツ語もOK!! 日本拳法で全国制覇の経験もあり、心身の強さには自信アリ。知力・体力を磨いて、世界の現場から日本の教育にアイデアを届けることをモットーに、様々な分野で執筆に励む。

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